違和感ある論理式:(A∧B)→Cと(A→C)∨(B→C)が同値??
今日は論理学の話です。
僕が6年ほど前にクソ違和感を感じた件がありまして。
違和感の内容
いいですか。驚かないでくださいよ。
この2つの式が同値だって言うんですよ!!
…
……
………だから?
いやだからね、ちょっと考えてみましょう。
これは、AとBが同時に成立する時は、Cも成立する、と言ってます。
Aが成立してなくてもCが成立するかもしれないし、Bが成立してなくてもCが成立するかもしれないし、 AもBも成立してなくても、Cが成立するかもしれない。
でも、少なくとも、AとBが両方成立する時には、必ずCも成立する。そう言ってます。
それに対してこちら。
これは「Aが成立ときはCも成立する」もしくは「Bが成立するときはCも成立する」のどちらか一方は絶対正しいよ、と言ってます。
両方正しいかもしれません。でも両方正しくないということはあり得ない。そう言ってる。
さてではこの2つの式の関係を考えてみます。
まず先に、について考えてみます。
これは、「そりゃあそうだろ」って感じがします。
AからCが言えるか、BからCが言えるかのどちらか(もしくは両方)なんだから、AとBが両方あるときはCが言えるでしょうよ。
では、その逆のはどうでしょう?
式を見ながら考えてみます。
これ、正しいかなあ?
「AとBが両方ある時のみ、Cが成立する」という場合が、反例になってない?
「AとBが両方ある時のみ、Cが成立する」という場合を考えると、 これは明らかに満たします。左辺は実際にAとBが両方あると言ってるんだから、Cが成立する。問題ない。
でも は満たさないですよね?? A単体だけでもB単体だけでもCは成立しないので、この「または」の左側も右側も不成立。なので全体としても不成立なわけです。
ところが!!!
このはなんと証明できてしまうんですね。
この証明は勉強したことがなければわからないと思うので、その場合は「証明できるんだ」ってことだけ理解してもらえれば大丈夫です。
(勝手に引用してます。問題あったら教えて下さい…)@agajo
— シン・そくらてす (@7danmoroboshi) 2016年10月8日
走り書きで申し訳ありませんが……
何となく、背理法使わないとうまくいかなさそうです。
(排中律つかっちゃったし pic.twitter.com/e4m3lTdBqf
つまり。同値に見えない2つの式が同値になるという所が、「違和感」なわけです。
僕の考えたこと
この、違和感のある、(1)→(2)の証明には「矛盾からは何でも言っていい」という規則が使われている。
これが違和感の元凶なのではないか!
だって「矛盾からは何でも言っていい」って違和感ありまくりじゃないか!
「僕が女ならば、太陽は西から登る」は「真」だとか言うし、
「そこに違和感を感じるのは論理学に親しみ足りないだけだぜ」なんて言う人もいるけど
いやいや!違和感は、あるだろ!
OK。では、この矛盾規則を認めない論理を作ってみようぜ。
その代わり、排中律は認めよう。排中律はすごく直観的に理解しやすいからな。排中律を認めないのが直観主義論理とか、意味がわからんぜ。
…よし、できた。
でも、二重否定除去規則とか、他にも理解しやすい式がいろいろ言えなくなってしまった。
ていうかそもそも最小論理の範囲で「二重否定除去規則」と「矛盾規則+排中律」は同値なのかよ。
二重否定除去規則はすごく理解しやすいから入れたいな〜 でもそうすると矛盾規則がついてきちゃうな〜
……
わかった。結局あれだ、「→」を「ならば」って解釈するからいけないんだ。
「A→B」ってのは、「¬A∨B」以外の意味はない、そう解釈しよう。
日本語の「ならば」とは意味がちがう。
結局最初の式も、「ならば」なんて解釈するからいけなくて、¬A∨Bの形になおしてみると
Aでないか、Bでないか、C。そう言ってるだけだ。シンプル〜〜。
結論
結局この一件から僕が得た知見は、
「→」を「ならば」と解釈すると、おかしなことになるので、「A→B」は「¬A∨B」という意味で捉えよう。
ということでした。
このことは既に言及されていて、こんなwikipedia記事も見つかりました。
では、この日本語の「ならば」の意味合いは、どうやって出すんでしょうね。そもそも取り扱わないのかしら?