岡竜之介のブログ

岡竜之介のブログです。

違和感ある論理式:(A∧B)→Cと(A→C)∨(B→C)が同値??

今日は論理学の話です。

僕が6年ほど前にクソ違和感を感じた件がありまして。

違和感の内容

いいですか。驚かないでくださいよ。

{\displaystyle
(A \land B) \to C \tag{1}
} {\displaystyle
(A \to C) \lor (B \to C) \tag{2}
}

この2つの式が同値だって言うんですよ!!

……

………だから?

いやだからね、ちょっと考えてみましょう。

{\displaystyle
(A \land B) \to C \tag{1}
} これは、AとBが同時に成立する時は、Cも成立する、と言ってます。

Aが成立してなくてもCが成立するかもしれないし、Bが成立してなくてもCが成立するかもしれないし、 AもBも成立してなくても、Cが成立するかもしれない。

でも、少なくとも、AとBが両方成立する時には、必ずCも成立する。そう言ってます。

それに対してこちら。

{\displaystyle
(A \to C) \lor (B \to C) \tag{2}
}

これは「Aが成立ときはCも成立する」もしくは「Bが成立するときはCも成立する」のどちらか一方は絶対正しいよ、と言ってます。

両方正しいかもしれません。でも両方正しくないということはあり得ない。そう言ってる。

さてではこの2つの式の関係を考えてみます。

まず先に、{(2) \to (1)}について考えてみます。

これは、「そりゃあそうだろ」って感じがします。

AからCが言えるか、BからCが言えるかのどちらか(もしくは両方)なんだから、AとBが両方あるときはCが言えるでしょうよ。

では、その逆の{(1) \to (2)}はどうでしょう?

式を見ながら考えてみます。

{\displaystyle
(A \land B) \to C \tag{1}
} {\displaystyle
(A \to C) \lor (B \to C) \tag{2}
}

これ、正しいかなあ?

「AとBが両方ある時のみ、Cが成立する」という場合が、反例になってない?

「AとBが両方ある時のみ、Cが成立する」という場合を考えると、 {\displaystyle
(A \land B) \to C \tag{1}
} これは明らかに満たします。左辺は実際にAとBが両方あると言ってるんだから、Cが成立する。問題ない。

でも {\displaystyle
(A \to C) \lor (B \to C) \tag{2}
} は満たさないですよね?? A単体だけでもB単体だけでもCは成立しないので、この「または」の左側も右側も不成立。なので全体としても不成立なわけです。

ところが!!!

この{(1) \to (2)}はなんと証明できてしまうんですね。

この証明は勉強したことがなければわからないと思うので、その場合は「証明できるんだ」ってことだけ理解してもらえれば大丈夫です。

(勝手に引用してます。問題あったら教えて下さい…)

つまり。同値に見えない2つの式が同値になるという所が、「違和感」なわけです。

僕の考えたこと

この、違和感のある、(1)→(2)の証明には「矛盾からは何でも言っていい」という規則が使われている。

これが違和感の元凶なのではないか!

だって「矛盾からは何でも言っていい」って違和感ありまくりじゃないか!

「僕が女ならば、太陽は西から登る」は「真」だとか言うし、

「そこに違和感を感じるのは論理学に親しみ足りないだけだぜ」なんて言う人もいるけど

いやいや!違和感は、あるだろ!

OK。では、この矛盾規則を認めない論理を作ってみようぜ。

その代わり、排中律は認めよう。排中律はすごく直観的に理解しやすいからな。排中律を認めないのが直観主義論理とか、意味がわからんぜ。

…よし、できた。

でも、二重否定除去規則とか、他にも理解しやすい式がいろいろ言えなくなってしまった。

ていうかそもそも最小論理の範囲で「二重否定除去規則」と「矛盾規則+排中律」は同値なのかよ。

二重否定除去規則はすごく理解しやすいから入れたいな〜 でもそうすると矛盾規則がついてきちゃうな〜

……

わかった。結局あれだ、「→」を「ならば」って解釈するからいけないんだ。

「A→B」ってのは、「¬A∨B」以外の意味はない、そう解釈しよう。

日本語の「ならば」とは意味がちがう。

結局最初の式も、「ならば」なんて解釈するからいけなくて、¬A∨Bの形になおしてみると

{\displaystyle
\lnot A \lor \lnot B \lor C \tag{3}
}

Aでないか、Bでないか、C。そう言ってるだけだ。シンプル〜〜。

結論

結局この一件から僕が得た知見は、

「→」を「ならば」と解釈すると、おかしなことになるので、「A→B」は「¬A∨B」という意味で捉えよう。

ということでした。

このことは既に言及されていて、こんなwikipedia記事も見つかりました。

適切さの論理 - Wikipedia

では、この日本語の「ならば」の意味合いは、どうやって出すんでしょうね。そもそも取り扱わないのかしら?

吊橋の支柱の高さでワイヤーのテンションは変わるか

f:id:agajo:20161001153330j:plain

ゴールデンゲートブリッジ!!

 

きれいですね〜。迫力があります。

 

ところで、この橋の近くには、模型が置いてあって、橋の仕組みを体験できるようになってます。

 

 

最近ツイッターでこんな出題をしましたが、改めてこれについて考えてみましょう。

 

なんでせっかくサンフランシスコまで来て物理の問題出してんだよ!って話ですが

 

サンフランシスコサイドが橋の物理的な話を押してきてるんだからしょうがない。

 

f:id:agajo:20161001151011j:plain

ほらね。(サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジのすぐ近くにある模型)

 

 

ということで、問題をもう一度ちゃんと乗せましょう。

 

f:id:agajo:20161001144700j:plain

 

図のように、吊橋の支柱の高さを高くした時、メインワイヤー(青く太い奴)にかかるテンション(張力)は、大きくなるか、小さくなるか、変わらないか、という問題です。

 

ここで、ツイートで言及していなかった点をいくつか補足します。

(そこがわかってたらアンケートの解答違ってたよ〜〜という方、すいません。なんとか心の折り合いをつけて許してください)

 

補足1.

比較するテンションは、支柱と繋がってる部分で測定することにします。

 

補足2.

メインワイヤーのたらし具合は、支柱の長さに合わせてちょうど良く調整するものとします。

f:id:agajo:20161001151054j:plain

 

こういう橋は考えないってことです。(支柱は長くしたのに対してメインワイヤーが不自然に上にある)

 

補足3.

橋の重さは変わらないものとします。

厳密に言うと、メインワイヤーが支えなければならない重量が変わらないものとします。

 

 

 

さてみなさん。

 

考えましたでしょうか?

 

ではここから解説編です。

 

 

支柱の最上部でメインワイヤーにかかるテンションを考える時、

 

重要なのは、ここの角度なんですね。

 

f:id:agajo:20161001152251j:plain

 

ここの角度さえキープしておけば、それ以外の構造はこんなふうにしても大丈夫です。

 

…大丈夫というのは、この問題を解く上で問題ないのであって、橋としての体裁はなくなってしまいますよ。

 

 

f:id:agajo:20161001152417j:plain

 

 

さらに、

・ワイヤーから支柱にかかってる力を書き込んで

・垂直方向と水平方向に分解してみます

 

f:id:agajo:20161001152534j:plain

 

緑の長方形の、高さはどちらも(1/2)mgになります。

 

それに対して、それぞれの角度の方向にTを伸ばして、高さが(1/2)mgに達するようにするわけです。

 

Tが水平に近いほど、長くないといけないのがわかると思います。

 

Tの長さが長いということは、かかってるテンションが大きいということです。

 

なるほどね〜。

 

 

ということで!

 

支柱を高くすると、ワイヤーのテンションは小さくなります!

 

 

だから吊橋の支柱はやたらめったら高く作ってるんですね〜。

 

 

ちなみに完全に水平にすると、どれだけ引っ張ってもまったく持ち上がりません!そりゃそうだ!

 

 

ということでサンフランシスコにいるのに何故か物理ブログになりましたが、今回はここまで。

 

次回は観光地としてのゴールデンゲートブリッジを紹介したいと思います笑